仙台空襲について勉強するために仙台市戦災復興記念館に行ってきた

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こんにちは!日本10周中ブロガーのオオホリ(@OOHORI_bicycle)です。

僕は仙台の出身なのですが、地元のことをもっと知ろうと思い仙台空襲に関して記録した仙台市戦災復興記念館という施設に行ってきました。

今回は仙台の成り立ちから現在の姿になるまでの歴史を知ることが出来たので紹介します。

駅と城の間くらい

仙台市戦災復興記念館は仙台駅から20分ほどのところにあります。だいたい仙台駅と仙台城の間ぐらいの場所ですね。

 
館内は戦前・戦時中・戦後に分けて展示が分かれていて、伊達政宗公が仙台を開いてから現在に至るまでの歴史を通して見ることができます。

 

藩政時代

まずは仙台が伊達政宗公によって作られた時の話から。

 
仙台という町の名前の由来には諸説あるようですが、僕としては「仙人の住むような理想の国になるように仙台とつけた」という説が一番好きです。

 
仙台城は全国でも有数の規模を誇った城だったようですが明治から大正にかけて大半が失われてしまったようです。

 
仙台城の大手門の復元模型。昭和の時代まで残っていたようですが、空襲の際に焼けてしまったみたい。

 

明治から戦前にかけて

明治時代の仙台の様子はこんな感じ。仙台には河北新報という地方紙があるのですが、河北新報は明治時代に創刊されたようですね。

 
こちらは大正・昭和の様子。今では5大都市の一つとして数えられる仙台もこの時期に鉄道や街が整備されていったようです。

 
この頃には仙台には城下町としての建物だけでなく近代的なヨーロッパから入ってきたような立派な建物も立ち並び始めます。

 
城下町も大正ロマンを感じられるような立派な建物も空襲でほとんど焼けてしまったのですね。

仙台という町

ここで仙台がどういった町なのか見てみましょう。

右手に見えるのが仙台駅です。左下の方に見える山が青葉山と呼ばれていて、そこに仙台城があります。その間を広瀬川という川が走っているというのが、仙台の大まかな様子です。


 
仙台大空襲ではこの街のうち赤色で点がついた箇所が消失してしまったとのことでした。

これはwikipediaの情報なのですが、アメリカ軍は大規模空襲に先立ち「仙台よい町 森の町 7月10日は灰の町」と印刷したビラを空から撒き、空襲を予告していたそう。そのビラを見た仙台市民はどんな事を思ったんでしょうか。

 

そして、1945年7月10日

仙台大空襲が起きたのは終戦の年の1945年7月10日のこと。東京以北の都市では最大規模の被害だったそうです。

 

終戦も間近になると日本全国の都市に空襲があったようですが、それまで仙台には大きな空襲がなかったようで逃げ遅れた人も多かったようです。


 
仙台の街は一夜にして焼け野原になってしまいました。

 

日本の都市の多くがそうだったように、仙台の街も文字通り焼け野原の状態から今日の姿まで復興していったのですね。

地元の歴史を知るということ

僕は大学から東京に出たので、高校までしか仙台にはいませんでした。仙台に19年。東京には9年弱。

ただ、大人になってからの期間は東京の方が長いので、地元の仙台という街に関してはよく知らないというのが正直なところです。

地元の事を知らないなんてなんか悲しいなと思い、今回は勉強し直すつもりで行ってみました。

なんか上手くは言えないですが、将来的には地元の役に立てるような事もしたいし、そんな実力のある人物になりたいですね。

そんな気持ちになりました。



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