支倉常長の乗ったサン・ファン・バウティスタ号をサン・ファン館で見てきたよ!

こんにちは!日本10周中ブロガーのオオホリ(@OOHORI_bicycle)です。

皆さんは支倉常長(はせくら つねなが)を知っていますか?

伊達政宗の家臣で、宮城発の超伊達男なのです!

今回、常長の功績を伝えるサンファン館という施設に行ってきたので紹介します!

サンファン館はココが凄い!

  1. 400年前にヨーロッパに渡った男の生涯を追体験
  2. サン・ファン・バウティスタ号が凄すぎる!
  3. 映画館がある!

なんか凄そうでしょ??ではでは、れっつらごー!

【1】400年前にヨーロッパに渡った男の生涯を追体験

支倉常長は伊達政宗の部下で、戦国時代後期〜江戸時代初期に活躍した武将です。

サンファン館では、パネルや蝋人形で常長の生涯を追体験することが出来ます!

なぜヨーロッパに渡ったのか??

伊達政宗が常長をヨーロッパに派遣した目的としてはいくつか説があるようですが、文化・技術の交流や交易による軍備増強といった目的が大きかったのではないかと言われています。

中には伊達政宗がスペインと軍事同盟を結び、幕府を倒そうとしてたのではないかという説もあるそうです。

その大役を任されたのが常長だったということですね!

徳川家康が江戸幕府を起こした頃、ヨーロッパの諸国はアジアや アメリカ大陸への航路を次々と発見し、新たな世界へと飛び出して行ったような時代だったのです。


船や航海術もどんどん進歩していた時代ですが、日本からヨーロッパまでの航路というのはかなり過酷だったようですね。2ヶ月以上の船旅だったようです。

スペイン王・ローマ教皇に謁見するも・・・

常長は過酷な航海の末ヨーロッパ大陸にたどり着きスペイン国王フェリペ3世と交易の交渉をしました。しかし、上手くは行かなかったようですね。

その後、ローマ教皇パウルス5世とも謁見して口添えを頼みましたが、それも上手くいかず・・・。

この時、常長が石巻を出発してから実に7年の月日が経っていました。7年ですよ!7年!!


常長は失意の中、帰国しました。

帰国後も苦難が続く・・・

しかも、更に悪いことに常長が帰ろうとしていた頃の日本は徳川家康により鎖国体制が確立されており、南蛮の宗教や文化を持ち込めない状況になっていました。。

常長はローマ教皇と謁見した際に、洗礼をうけキリスト教徒となっていたために帰国後も立場が悪かったようで、2年後に死去してしまいました。


常長の働きは当時の日本をひっくり返すようなインパクトには繋がりませんでしたが、400年も昔にグローバルの視点を持ち仙台藩を豊かにしようとした伊達政宗とその意志を貫き通した支倉常長は 東北が誇る伊達男ですねー!

【2】サン・ファン・バウティスタ号が凄すぎる!

石巻にあるサンファン館では、常長が太平洋を渡ったサン・ファン・バウティスタ号という船の復元船を見ることが出来ます!

高台にある展示室から長いエレベーターを海の方に降りると・・・

太平洋を望むサン・ファン・バウティスタ号が!

うーーーーん!超かっけーぜ!!

このサン・ファン・バウティスタ号、以前は乗船することもできたのですが、現在は近くから見るだけになっています。

というのも、東日本大震災の影響や老朽化で復元船が傷んでしまっているのです。

震災後の強風でマストが2本折れ 展示品がたくさん流出してしまったようですね。

【3】映画館がある!

震災以後2年8ヶ月の時を経てサン・ファン・バウティスタ号は復活しました。
 
その様子はサンファン館内の映画館「サンファン・シアター」で上映している「二つの大津波とサン・ファン・バウティスタ」で見ることが出来るんですなー。

映画館もあるなんて豪華だぜー!

この「二つの大津波」ってところがきになりますよねー!この「二つ」が何を意味するのかは、ぜひ現地で確認してみてくださいw

しかも2本立て!

また映画は「夢の果までも」という常長がヨーロッパに渡る様子を描いたものもあります。2本立てなんて豪華ですよねーー!!

演技もロケも力が入ってて超面白かったですよ!

どうでしょうか?サンファン館!


値段の問題じゃないですが、これだけ充実してて入館料は350円!や、安い・・・。

僕はこれでは申し訳ないので、サン・ファン友の会に入会することにしましたw(年会費1000円)

復元船も早く直ると良いな〜!

皆で行きまくって早くサン・ファン・バウティスタ号を直そうぜwww

ではでは!